床に立ったその場所に目印を付けて、
目をつぶったまま、50歩ほど足踏みをしてみたあと、
目を開けて足元を見てみたら、
両足は最初の目印から外れたところにある。
これは骨盤の歪みを簡単チェックするための方法なのですが、
前後左右、進んだ方向に対して、
それぞれ骨盤の歪み方がわかるというものです。
これと同じように、
自分はいつでも自分で、
あたしはあたしを辞めたことも、休んだこともないのに、
でも日々、歩いて生きている中で、少しずつ何かが変わって行って、
気が付けば別の場所に立っていたりすることがある。
いつだって自分は自分の真ん中にいるつもりが、
人や出来事に影響されて、
自分の性格や考え方、日々の喜怒哀楽も加わって、
自分が育ててきた信念が、ふわっと浮いてしまっていることがある。
そんなときに、あたしをニュートラルに戻してくれるのは、
いつだって絶対的に信頼している親友の存在だったりする。
学生時代からの親友だったり、ミュージシャンの親友だったり、だ。
自分を自分の真ん中に戻すのは、あくまで自分だ。
でも、その手伝いをしてくれる大切なひとたちと出会えたこと、
いまこの時代を一緒に生きていてくれること、
それが、あたしにとって何よりも貴重で有難いことだと思う。
そのひとたちについて、たまに、
自分の外に置いてあるバックアップファイルのような、
実は自分の分身じゃないかと思うことがある。
逆に、
自分じゃない異質のものであるおかげで、
自分を取り巻く世界は広がり、
その世界との距離を知ることができるのだ、とも思う。
まず、自分の真ん中がどこにあるかを知らなければいけない。
そして、次に、
その真ん中からの距離を知らなければ、真ん中には戻れない。
その距離に気付かせてくれるのは、絶対に他者の存在のおかげであると思う。
最近もう一度「今の自分の真ん中」を自覚できた。
気付いたなら、あとはそこに向かうだけ。
あたしはあたしの真ん中に、帰る。
寄り道してきた。
でも冒険は楽しかった。
成長して深化して、帰ってきた。
ただいま、あたし。
* * * * *
曲を送ったあとはいつもどきどきする。
どんな反応が返ってくるかはらはらする。
自慢の子どもやから大丈夫、と自分に言い聞かせる。
それは自信ではなく、誇り。
それでも、
世間様にどう思われるかを気にしてしまうのは親ごころ。
でも自分の唄にはのびのび自由に遊びに行って、
そして学んで、育ってほしい。
子どもにはあたしが見られなかったその先に行かせてあげたいんよ。
だから親は子どものために頑張る。
あたしはいつか子どもたちから土産話を聞かせてもらうんよ。
そして、
もっともらしく、親らしく、
「どんな人に聴いてもらったん?よかったねぇ、その思い出を生涯大切にしなさいよ」
なんて、一緒に笑うのだ。
* * * * *
親は子を育て、
子は自分が育ちながら、親をも育てるのだ。
あたしが生んだ楽曲が、誰かに聴いてもらって成長し、
音楽があたしを育ててくれているように、
かつてあたしを救ってくれた音楽や、聴いてきた誰かの楽曲が、
それを創ってくれたそのひと自身を、救ってくれていますように。
posted by Cheri* at 01:00
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