嘘をつかれたほうが傷つかずに済むんだろうか。。。
傷つかないことを選びたいのか、
どんなに残酷であろうとも正直さを尊ぶのか。
今までつかれた嘘で、覚えているほどのものはだいたい、
うすうす見破っていることばかりだけど、
それでも相手がそう言うのであれば、、、と、
相手を信じてあげたい気持ちと、
信じなくてはと思う反面、
自分がバカにされているみたいでみじめな気持ち、
それに、そもそも、
相手に嘘をつかせた状況を作ったのは自分であることや、
そこまで信頼関係が損なわれてしまった悲しみ、
そして何よりも、
嘘だ、と相手を疑っている醜い自分が許せなくなって、、、
自滅するパターン(笑)
それでも嘘は、自分がつくよりも、つかれるほうがマシだなって思う。
最近では相手を疑うことよりも、
嘘を信じて笑っているほうが幸せなのかもしれないって、
思うようになったかもしれない。
見下されてバカにされるのも、みじめなのも悔しいけど、
結局自分が何を信じるか、何を信じたいか、
なのだなって思うことが多い。
自分が誰かを騙して蹴落として見下して生きるよりは、
騙されてでも、損をしていても、
あたしは愛を分け与えられる人になりたいな。。。
反面、
完全に嘘だとわかっていても、だまされたふりをして、
それでも許し、相手を信じる選択を取るような状況というのは、
あたしもまた、嘘をついていることになるのだ。
嘘をついた分だけ、
疑う能力が育ってしまう。
嘘は結果的に、いつか相手にも嘘をつかせることになる。
自分が誰かに嘘をつかれる未来を、自分が生み出すということ。
そのことをもっとちゃんと理解するべきだなあと思う。
嘘そのものの善悪ではなく、
嘘はそれ単体で存在するものではないことを理解すること、なのかなあ。
正直に生きることと、誠実に生きることは違うと思っている。
誠実に生きられるだろうか。
これから先の人生で、どれだけの嘘をついて、
どんな虚構の中で生きることになるのかわからないけど、
なるべく嘘をつかなくて済むように、
人を疑わなくて済むように、
周りのひとたちと信頼関係を築けるといいな。
正直さは自分のため。
誠実さは相手と自分のため。
大切な周りのみんなが笑っていますように。
その中であたしも笑っていられますように。