誰かがどうしようもなくなる前に、Cheri*の唄が間に合えばいいな、って、
願いながら音楽をやっているのだけど、
そんなあたしのことは誰が救ってくれるのだろうか、と考えることがある。
もちろん結論はもうこの手の中にあって、
あたしはとても大切な人に守られ、支えられ、
助けてもらいながら生きていて、
陰ながらでも、あたしには強力で絶対的な味方がいて、
いつもいつも安心と自信をくれる人がいる。
だけどその人はあたしに手を差し伸べたりしない。
頑張るのはあたし自身だと、ちゃんとわからせてくれる。
だけど「Cheri*は頑張れる」って、最後の最後まで信じてくれる人がいる。
そんな大切な人たちに出会う、もっともっと、もっと前。
あたしがまだ、自分で唄うことすらしていなかった頃、
思春期で多感な年頃を一緒に過ごしてくれた音楽は、
ご多分に漏れず、あたしの中にもたくさんあって、
知らず知らずのうちに、多大な影響を受けているはずのものがある。
まだ唄えなかった頃、自分を持て余して、
自我を発露させる先が見つからなかったその頃に、
誰よりもあたし自身が、
聴くことで音楽に救われて生きてきた人間なのだ。
あたし自身が音楽で生かされているからこそ、
あたしも音楽で誰かを救えたらいいなと思えたのだ。
そんな私の思春期を支えてくれた音楽のひとつが、結末を迎える。
その当時、同じ流行に乗ったバンドが軒並み解散していく中で、
その音楽だけはどこかでずっと続いていくものだと思っていたよ。
だって他とは違う道を進んでいったから。
流行ではなく、普遍的なものがあった。
その普遍的な唄に惹かれた。
解散と知って、びっくりするくらい動揺する自分がいた。
ああ、あたしはものすごく影響を受けていたんだ、と思ったし、
もっともっと追い続けていたらよかったと後悔する自分がいた。
茫然と、しばらく何も手につかなくなるくらい、
彼らに支えられて、今の自分が組成されていたのだった。
あたしの中でずっと、生き続ける音楽を、ありがとう。
あたしを救ってくれて、ありがとう。
あのとき、皆さんの音楽が、あなたの歌声が、
あたしには、とてもとても必要でした。
いただいた分の何百分も、何万分の一も、あたしには真似できないけど、
彼らの音楽は、間違いなく、
この日本のJ-POPシーンに一石を投じてくれたと、
あたしは信じているから、
同じように、
あたしは自分の信じたことを、信じたやり方で貫けるように、
がんばります。
彼らの音楽が響かないひともいるでしょう。
だからこそ、出会えたひと(響いたひと)は幸せでしょう。
あたしは出会えて良かった。
本当に良かった。
25年の間にこんな成長と変遷を遂げたバンドを、他には知らない。
ものすごいポテンシャルを持ったバンドだったんだ。
尊い。
尊い。
尊い。